Sep 11, 2016

お婆ちゃん 




お婆ちゃん             9/8/2016








お弁当が食べられなかった
幼稚園時代

今ではウソみたいな話で
私は食事が嫌いな子供だった
今もちょっとした神経質さは持ち合わせているものの
あの頃とは雲泥の差

きっかけや始まりは覚えていないのだが
ご飯の時間になると喉がつまって血の気も引いて 気持ち悪くなって
食べ物を口に入れることがイヤになってしまうのだった。
そんな毎日のご飯の時間がいやでいやで
とくに信仰心のある家庭でもなかったのに
夕飯の前になると、部屋の片隅でひっそりと
どこかへ向かってお祈りをしていた。

「天の神様仏様、いろんなところの神様、富士山、大好きな木や草の神様、太陽、空の星、地面…
ちゃんとご飯をのこさず食べられるように見守っていてください」

絵本で仕入れた知識なのか、祈る中身は「たくさん食べられますように」とは真逆で
とにかくあらゆる神様にお願いをすれば
ちゃんと食べきることができるのではないかと思っていた。

今になって知識をかいつまんで自分なりに分析すると
なぜそんなに食べることがいやだったのか
後から理由付けはいくつかできるが
根本的なところは分からない。
幼稚園の集団の中で食べることがイヤだったような気もするけれど
家でも、お友達の家でも果物以外はお菓子もダメ。
子供なら喜びそうなハンバーグやオムライス、唐揚げ…ほとんどダメで
覚えているのは、梅干しは 飴玉より食べられた。


友達一家とたのしく外出して、さっきまで子供らしくはしゃぎまわっていても
みんなでファストフード店に入るや否や
ソワソワと青ざめ、気分が悪くなって親を困らせていた。
どこでも、お供え物ぐらいの量を申し訳なさ程度に口に流し込み
今にも吐き出しそうな病人のようにやり過ごしている子供だった。


幼稚園ではお弁当と給食が交互にあったのだが
その時間だけは地獄のような気分ではなかったか。
断片的に思い浮かべる室内では、
壁に貼られた 飾りの絵や文字を追いながら、ご飯時間の気分を紛らわしていたことや
先生が食べないことを心配してなのだが
食べ切るまで入れられた、薄暗い用具置き場の記憶が残っている。
たしかその時は、勇気を出して 鰹節をまぶしたお結びに手をつけたら
なんとか 塩味の効いたお米だけは食べられたような。
要は、気持ちやきっかけなのだ。先生は多分それを見抜いていた。

やせ細ってはいたが、「食」の時間以外は元気で おてんばそのもの。
木登りは率先して他の子が登れないところを登り
あぶないと怒られるまで、時には怪我をするまで遊び
かくれんぼも 最後まで見つからないところに隠れたりしていた。
「食」時間の反動が遊びで発散されていたようにも思う。

それと絵。
壁に絵を描いていた私をみて、親が近所のお絵かき教室に入れてくれたので
物心つく前から描くことが好きで、描くことで違う世界を生み出せることが楽しかった。
絵を描くことも、発散する術だったのだと思う。







幼稚園の年長になったある時期


母が弟を出産する前後に、体調を崩して長いこと入院していた。
父は一般的なサラリーマンだったので休むことも出来ず
私は、家ぐるみで親しくしていた幼馴染の御宅や
少し離れた 親戚の家に預かってもらったり
母方のお婆ちゃんが田舎から出てきて面倒を見てくれることで
どうにか 母の不在時をやり過ごすことになった。


母が なんとか私に食べさせようと
色どり鮮やかに工夫したお弁当すら食べられなかった私は
お婆ちゃんのつくったお弁当も、もちろん食べられなかった。
田舎の山奥で、そんなに広くもない規模の農業で生計をたてていた お婆ちゃんの作る料理は
今でこそ貴重なもので、時間をみつけて習っておけばよかったと思うけれど
あの頃の幼い私には、田舎の素朴な匂いのようなものが嗅覚に馴染まず
さらに食べることができなかった。


反発心もあった。
母の不在で、いつもの母のやり方のほうが良いと言わんばかりに
お婆ちゃんのすることなすこと 全部を嫌がっていたようで
日に日に、お婆ちゃんと私は本気で張り合っていた。
「やっぱりワシが田舎もんだから…」
お婆ちゃんが時々よわよわしく呟いていたのを覚えている。
神経質でおてんばな子供が、本気で反抗していたのだから
せっかく農作業を休んで 慣れない都市の郊外へ出てきたのに
孫からの仕打ちは、堪えたにちがいない。



母の体調が良くなって 家に戻り
お婆ちゃんは山奥へ帰っていた。
それから毎夏にお婆ちゃんの家へ遊びに行っても
あの頃の幼稚園児に「いじめ」られたことを
お婆ちゃんはしっかり覚えていたようで
少しよそよそしかったり、私にはあまり強く言わなかった。
そのことが歳を取るにつれ、私はどこか申し訳なく感じていた。
幼い自分がやったことでも、もう少し大人になれなかったのだろうか…



そのお婆ちゃんは
あとすこしで
この世からいなくなろうとしている。
98歳。98年間生きたということ。
病気ではなく
自然に、衰えていく様子を
苦しみもせず、見せてくれている。


人は老いて衰えていくとき、塩分が体内から抜けていくと
初めて知った。
おばあちゃんの身体はもう、ナトリウムを体内に溜めらない。

生きるのには塩分が必要で
だから、あの頃の私は 梅干しが好きだったのだと
お婆ちゃんの最期に 相槌をうたれた。


私は、お婆ちゃん子でもない 孫として
お婆ちゃんとの少ない記憶を こうして書き留めておきたくなった。




ーーー



12日後の9月20日永眠

「冬至を過ぎると米一粒分づつ陽が長くなる」と教えてくれた はるゑさん へ